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9月7
聖マルコの仔獅子号航海記の覚書1
Filed under: 大航海時代オンライン;No Comments我がミキエレ一門の古文書室からの断片。
これは、私から数えて九代前の祖先が、航海時に残した覚書を和訳したものである。
晩年、回想録※1をまとめたため、必要なくなったなのか、祖先がこの覚書をいいかげんに扱ったため、束ねていた皮紐が切れ覚書一枚一枚の前後関係の判別が難しくなり、濡れたのかインクが滲み、黴がはえ、ただでさえ悪筆だったために不明瞭な祖先の文字が一層判別不能になってしまった。
その上、日付も入っているものもあり、入っていないものもあり、間違っているものもある。
その上、無関係な文章断片もまぎれこんでいるのである。覚書を書いた本人も混乱しそうな状況の覚書であるが、ここではなんとか整理できた内容を公開しようと思う。
「上品」な回想録を読むだけではわからない、祖先の素顔が見えてくるように思える。
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今日のリアルトは落着いていた。
先週、雪の結晶のようなレースとまあまあ見事な油絵を手に入れることができた。
共和国に滞在している偉大な芸術家の工房で作られた、というふれこみだが、おそらく、その偉大な芸術家の工房の隣の工房で作られた程度のものだろう。
目当ての絹製品やムラーノのガラス細工はやや高騰ぎみだが、下がり調子なので、船出を遅らせて相場が落着くのを待つことにした。絹製品とガラス細工を購入。
荷を仕立てることができた。
副官に契約した船員を召集するように命じると、私は、年老いた父母に船出を告げるために聖マルコ地区の片隅にある小さなアパルタメントを訪れた。
私を含めた兄弟が金を出し合って維持している狭いが居心地のよい家だ。
アヒルと蜂蜜、そしてボルドーのワインを手土産にすると、母はそれを料理してくれた。船出の日だ。
当所、ラグーザにむかい、そこでも荷を仕立てるつもりだったのだが、今帰還したばかりの知人の船長から、私の目当ての商品は高騰していると告げられた。
しかたがなく船出寸前にリアルトに走ると、船倉の空いた部分に「なんでも」商品を詰め込んだ。
昨日の晩餐での父(商人として才能が無かったが…)が言っていた家訓が頭の中で鳴り響く。
「積むものながければ、悪魔でも積め。金を払うなら」
私の船員たちにシラクサへ直行することを告げるように副官に言うと私はリアルトに走った。ヴェネツィア-シラクサ・五日間強。
とくになにもなし。シラクサで陶磁器を購入。
すぐとなりのナポリでも購入。
私は船倉をあけるために、弾薬をおろすことを副官に告げると、元傭兵の副官は不満そうにしていた。地中海内では航路によるが、砲撃をすることはほとんどあるまい。
そして、北方で開発され、知人からよい値段で譲ってもらった、我が「聖マルコの仔獅子号」の船足についてこれる海賊船はそうはいないのだ。ナポリ‐ピサ、一週間弱。
市場の商品はどれも高め。
ただ、クロスボウは値段を下げていた。
私にとって馴染みがない商品だったが、手ぶらは一番忌むことだ。
購入することにした。ピサ‐マルセイユ、二日弱。
夜半、マルセイユに到着。
町並みは穏やで居心地がよさそうだが、どこからか臭い。
ピサも、寄港しなかったジェノヴァもイタリアの諸都市だが、今ではフランスの影響下にある。
それでもイタリアであり、祖国とは異なるが、どこか同じなのだ。
ここからは外国だとしみじみと思う。
マルセイユの酒場で同郷の在住商人と話をしたところ、公衆の衛生を司る役所は無いとのこと。
とても納得する。
ただ、酒と女は悪くない。
翌日、目当ての商品の値段を市場で調べると、絶望的になった。
しかたなく、北でとれたのだろう、クルミとワインを買い求め、出航することにした。
マルセイユの商人協会で、アルジェに行く必要がある仕事をとることにした。
期待した商品を買えなかったことの埋め合わせだが、船員たちに不安が広がったようだ。
十五才にもみたない数名の若い船員は遺書を書いたようだが、私はとくになにもしなかった。
行けばわかるだろう。
ただし、私は砲弾を積み込むように副官に指示した。
神を信じよ、ただし羊をつなげ、だ。アルジェは大きな町だ。
アラビア語ができない副官に口をきかないように言いつけて町に出ると、足早にバザールまで出向き、依頼の品を買い取り、そそくさと出航した。アルジェ‐バルセロナ一日強
バルセロナの市場でターバン姿のまま交渉していると奇異な目を見られた。
イスパニアに入ると、市場が武ばったものに変わり始める。
剣、火薬、そしてマスケット銃。
ガラス細工を少し処分して、値がはったがそれらを買い求めた。
バルセロナ‐マラガ
途中、かのハイレディンの配下の襲撃を受けた。
中型のガレー船である。
商用に改装してあった我船の砲門はわずか12門であったため、退避しようとしたが、陸地を使って退路を絶たれたため、やむおえず応戦した。
回頭中、左舷側に直撃弾。
幸い、船員に負傷者はなく、応射した。
敵船に与えた損害は大きくなかったが、混乱の様相をしめしたので、私は操舵手に右急速回頭、接舷を命じ、副官に白兵用意を告げようとしたが、当の副官は私がとある軍人から拝領した剣(もう使わないからと贈った)を振り回して甲板で怒鳴りちらしていた。
察しがよくやる気があるのは、何事においても良いことなのだろう。
めきめきと音をたてて敵船と我船の舷側が擦れ、背の低い敵ガレーの船体に大きく亀裂が入ったが、なんとか沈まず持ちこたえてしまった。
白兵戦がはじまった。
副官の指示で敵船に火が放たれた。
派手に帆が燃え上がり、敵味方の怒号が飛び交う。
我方の船員は、コックや見習いも含めて三十名。
相手は本業の海賊で四十名前後であったかと思う。
戦闘指揮は喧嘩好きの副官にまかせ、私は船楼からマスケットで船員を援護するのに勤めた。
我々は混乱した敵に圧勝した。
我方に負傷者はあったが、船にあった医薬品と包帯で済む程度のものであり、幸いだった。
水葬はなんどやっても気分のよいものではない。
死者と負傷者を満載した敵船を離れ、副官に状況と報告聞こうと甲板にあがると、海賊船から奪ってきた酒が副官の手で船員に振舞われていた。マラガで、サフランは高騰していた。
船員にねぎらいの酒をふるまい、酒を購入して出航した。
海賊に襲われ、商品は高騰。
教会に行くことにした。ジブラルタル通過。
ここからは我々の文明の外だ。
日没にむかって航行すること四日強、リスボンについた。
リスボンは活気のある町だ。
新進の気風に満ち満ちている。
ここでアフリカ行きの準備をはじめた。
船を正しい状態に保つたの品々を買い求め、商品を積みなおし、船員に休暇をとらせる。
私も副官とともに酒場で飲み明かし、食べ、十分に寝た。リスボンは新世界への新しい窓口であるだけに、ヴェネツィア人である私が見ても、珍しいものに満ちていた。
とくに、新大陸からの産物は珍奇である。
それが商われている港近くのバザールは何日眺めても飽きないだろう。
新大陸からの産物は、私が見た限り、価値が高いとは思えないものも、とてつもない値段で取引されているようだ。
無論、私の趣味はおいておくとして、市場価値があるならば、当然のことながら、是非手に入れてみたいものだ。
後ろ髪を引かれる思いで、各国の船が混雑するリスボン港を、我々はラスパルマスにむけて船出した。
今日で欧州ともお別れだ。外洋航海が初めての見習い船員に先輩が怒鳴り声て注意を与えている。
外洋に比べると、地中海は水を噴射していない噴水のような穏やかさである。
副官に見張りを強化するように言うと、自ら見張り台に登ってしまった。
豪雨の中、五日強の航海で、ラスパルマスに寄港した。ラスパルマスはイスパニア風の町だ。
遠く、欧州の住人からは「地獄の扉」として有名である。
著名な海賊や私掠船の船長も時折見かけられる町であり、長居は無用である。
通常ならラスパルマスより北にある、ポトルガル領マディラに寄港するところだが、ラスパルマスに交易品を配送する仕事を請けたため、やむなく寄港した。
すばやく納品して出航することにしよう。ラスパルマスからシエラレオネはやや長期の航海なる。
途中のアルギン、海賊の巣窟になっているカーボヴェルデは緊急事態が発生しないかぎり寄港しない。貿易風は順調に我が船を四日でカーボヴェルデ沖につれてきてくれた。
ここから風向きがかわり、慢性的に逆風状態になる。
地中海ではおなじみのジクザグ航行をして、前に進む。
しかし、この海域の海はなんという美しさだろう。
明るく緑色に輝く水底は見ていて吸い込まれそうになる。航海して十一日目。
我が共和国の同盟港、シエラレオネ沖にさしかかる。
入港準備。
ラスパルマスを出航して十二日目の朝、シエラレオネに寄港した。シエラレオネで欧州で買い集めた商品を一部除いてすべて売却し、アフリカでの物産を買い集めるための資金とした。
相変わらず、酒類が人気である。
先についていたらしい同胞が大量におろしたサテンの値段が急落していたため持ち越しだ。
穀物や塩などの日用品を積み込み、値段が落着いていたダイヤと唐木香を積み込んだ。
休息をとり、アビジャンにむかう。
アビジャンまでは風向きによって十日程度かかる予定だ。暑い!
水の消費は気温によって左右される。
積み込みすぎても腐り、場所をとるだけだし、少ないと命にかかわる。
ガラスの瓶に水を入れて栓をし、麻の襤褸布をまきつけて海水をかけて風をあてて冷やした水が美味い。船員の間ではライムよりレモンが好評だ。
私もそう思う。シエラレオネ出航から十日目の夜。
アビジャンに入港した。金もダイヤモンドも酷い大暴騰だ!!
聖ジョルジョの豚クソ野郎は呪われてしまえ!!※2なにも書く気が無い。
買える物を買って、早々に次の目的地に行くとしよう。———————————————–
これ以降の覚書は紛失している。この後の航跡を回想録でたどると、ケープ植民地まで足をのばし、コーヒーや象牙・宝石類とやや高めの金を購入し、欧州へと帰還を果たしている。
祖先は、地中海の都市をまわり、アフリカの物産を売り、現地の物産を購入しつつ、年の終わりにはヴェネツィアに戻って、聖誕祭を一門一同で祝い、翌年の春、冬の間に整備されていた船に商品を積み込むこむと、再びヴェネツィアを後にしている。注訳–
※1・聖マルコの仔獅子号航海記~文章番号5-35221 パドヴァ大学所蔵、他私蔵等11冊。
※2・回想録では「この港の市場では、金は高騰して手が出せなかった」とあるだけである。当時台頭してきたイングランド商人が大量購入して高騰させたのか?
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